カテゴリー別アーカイブ: 日記

下町ロケット

普段我が家は、テレビをみないのですが、この下町ロケットは面白い!

このドラマをみて色々と気づきがあります。

まず、「本当の強さ」。

歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る。(論語 子罕)

この章句は、「歳寒の松柏」という慣用句で使われますが、
松や柏は、桜や梅のように美しい花をつけるわけでも、
桃や栗のように美味しい実をつけるわけでもありません。
そういう意味で注目を集める樹木ではありません。

しかし、冬になり、他の木々が葉を枯らし、枝だけになっても、
松と柏はまだ葉を茂らせています。

真冬のような厳しい状況になって初めて私たちは、松柏の強さを思い出すのです。

下町ロケットの佃製作所は、大企業からの不当なバッシングに、
社員が一丸となって真価を発揮します。

人でも、企業でも、調子がいいときは誰でも前向きでいい判断・選択ができます。
やること、なすことうまくいくものです。

しかし、反対に逆境に落ちたとき、
多くの人はそれをきっかけにスパイラルにはまり、どんどん落ちていきやすいものです。

しかし、本当につよい人たちは、逆にそれをバネに、どん底から這いあがっていくのですが、
そういう人たちは、どん底にあるときにも淡々と普段と同じように、
できることをコツコツやっているのです。

逆境で、団結する佃製作所、胸熱くなります。

ヤッシーナイト

今日は、娘の学校の図書ボランティアを一緒にしていた、パパ友 矢柴俊博さんの一人芝居「ヤッシーナイト」へ、ビジネス論語の仲間5人と行ってきました。

私を含めて、みなさん、一人芝居というのは初めてとのことでしたが、お誘いしたら二つ返事で参加表明してくださった、有難い仲間です。

観終わって・・・

すごくよかったです。

一緒に行った仲間もみなさん、

「人が本気で何かをすると、これほど伝わってくるものがあるんですね。感動しました」
とか、
「2時間、あっという間だった」
「こんなにお芝居の世界に引き込まれるとは思わなかった」

今回は、間のスペシャルトークのゲストが、弾丸ジョッキーのオラキオさんと、俳優の木下ほうかさんという、超豪華だったのも、すごくラッキーでした。

木下ほうかさんは、矢柴さんに花を持たせる感じで格好良くちょっと引き気味でトークをされて、よく引き立て、引き出されていました。

また、今回のオラキオさん、私は初めて観ましたが、場慣れしているというか、ものすごく安定感があって、うまく場の雰囲気を温めていて、しっかりとした経験を積んでいることが伝わります。

そんな実力のある俳優さん、お笑い芸人が矢柴さんのために100人にも満たない小劇場のトークゲストに出演してくれるのは、矢柴さんの真面目な仕事ぶりが評価されてのことではないでしょうか。

矢柴さんの芝居は、矢柴さんの世界に自然と引きづりこまれていました。

なぜここまで引きづりこまれるのか?

私は昔、芝居をしている友人がいて、何度か観に行ったことがありますが、技術的に何かがちがうかというと、そこは私にはわからない世界です。

おそらく、違いは明確にあるのだと思います。

しかし、それ以上に大きな差があると感じたのは、脚本・芝居への理解と献身の深さが圧倒的に深いと感じました。

それは技術的なものの差は、大したことはなく、
芝居への理解と献身、その掘り下げた深さの差は、とてつもなく大きいのだと感じました。

今回の矢柴さんの一人芝居は、人生について考える作品ばかりでしたが、
やはり人生も同じなんだろうなと、思います。

みな最初は、どうしたらうまくいくか、技術的なことを、追い求めてしまうのでしょうが、技術で突き詰めていけるところは大したことはありません。

人生を掘り下げられるかが、大きなちがいを生むのでしょう。

そんなことを気づかせてくれる、素晴らしい時間でした。

戦友の死

今朝、1時頃、一人の戦友が旅立って行った。

太陽照美さん。
太陽照美さんのFacebook

彼女と初めて会ったのは、今から2年以上前。
駒込の自然食レストラン なーりっしゅだった。

そのときは、彼女が癌であることを、私は知らなかった。
が、なんとなく、そうではないかと感じていた。

Facebookでつながって、彼女が癌であることは数日後に知った。

私は、ゲルソン療法を実践していて、食べられるものが極端に制限されていた。
彼女は、好きなものを、感謝して、満喫して食べて、好きなことを好きなだけする、という生き方を実践していた。

彼女のガンが、どこのガンで、どのような状態だったのかは、よくわからないが、
余命は半年~1年程度と、宣告を受けていたという話は聞いたことがある。

それが正式な(?)余命宣告なのか、雑談レベルでの、
「病院に行かないと、半年で死んじゃうよ!」
みたいな話だったのかは、よくわからない。

だが、余命が半年でも、1年でも、
医者が見込んでいたよりは長く生きられたことに違いはない。

また、治療を受けていたよりも、
愛する人と残りの人生の全ての時間を、楽しく充実した時間にし、
想い出の写真、想い出の場所、想い出の味・・・、多くの想い出を遺すことができたことに、
ちがいはない。

彼女と彼女を支えたご主人の、生き方の選択、生き様の選択、を私は100%承認したい。

彼女の死をもって、やっぱり代替療法、自然療法はダメだ、という主張をする人、
あるいは、そういう疑問を持つ人もでてくるかもしれない。

しかし、代替療法、自然療法に取組む者たちが注目するべきなのは、
余命が伸びたのか、縮んだのかではなく、
彼女が生きた時間が、三大療法を受け入れた場合と比べて、
どれほど充実した「生」を送ることができたのか、
そして、
どれほど穏やかな「死」を迎えることができたかではないだろうか。

彼女は、死を迎える数時間前、緊急入院が決まった写真を自撮りしてFacebookにアップしていた。

彼女は、それから数時間後、
彼女の愛する人に見守られ、手を優しく握られ、もしかしたら腕枕とかされてたかもしれない・・・
そうして最後の瞬間を刻んだのだろう。

思い通りにいかないことのほうが多いのが人生だが、
これ以上ないほど理想的な最期を迎えることができた彼女は、
本当の意味で、ガンに負けなかった勝者なのだと、私は思う。

3年近く彼女を支えたご主人の喪失感は、計り知れないだろう。

ただ、彼女のご冥福をお祈りするばかりである。

お疲れさま。
出会えて、本当によかった。
本当に、ありがとう。

ゆっくり休んでね。

スタートアップ・マニュアル

11月からはじまる、waseda-edge プログラムの課題図書を読んでいます。

その序文がとても興味深いので、シェアします。

(引用)

史上初の近代的企業であるオランダ東インド会社が1602年に初めて株券を発行して資金調達して以来300年間、企業は正式な訓練を受けたプロのマネジャーというものをもたないままどうにかやってきたが、20世紀に入り企業経営の規模が大きくなり複雑になるにつれて大企業経営の専門訓練を受けた人材が必要になった。

(引用終わり)

このことは、営業の神様と呼ばれる営業・経営コンサルタント ブライン・トレーシーも書籍の中で指摘しています。

マネジャーがになっている業務については引き継ぎなど、企業内で十分にされているのでしょうが、
マネジャーに欠かせないスキルなどについては十分な教育がなされず、
「誰もが、マネジャーとしてのスキルを持たないままマネジャーになる」
のが現実のようです。

それともう一つ。

世界最初の株式会社 東インド会社が設立され、株式会社という近代企業経営の形が始まって、400年余りが過ぎていることがわかります。

では、その間、欧米的なマネジメント手法というのは、果たしてうまく機能してきたのでしょうか?

企業の価値をどのように評価するか、その指標はいくつかありますが、その中でも最も重要なもは、「継続性」でしょう。

創業300年を超える企業の80%以上が日本企業といわれていますが、日本企業のマネジメントこそ、私たちが学ぶべきマネジメントの形と言える、とこの序文を読んで再認識しました。

パパが遺した物語

先日、久しぶりに、ひとりで映画を観た。
ラッセル・クロウ主演の「パパが遺した物語」。

小説家の父と娘との物語だ。

あらすじは、ネタバレにならない程度で書くと、
娘がまだ小さいときに、お父さんが起こした事故で、お母さんが事故で亡くなり、
お父さんも後遺症で長期入院を余儀なくされる。

その間、娘は親戚の家で預けられる。

お父さんが退院後、父娘の生活は戻るが、その後も、お父さんは事故の後遺症で悩むことになる。

父娘の貧しいながらも幸せな生活も、お父さんが後遺症が元で風呂場で倒れ亡くなってしまう。

そういうトラウマを持つ娘の20数年後のストーリーと、
父と娘のストーリーいや、娘を想う父のストーリーとが、
オーバーラップしながら展開されていく。

この映画を観て、私自身娘たちに何ができているか、何を遺してやれるのかわからないが、
元気でも、元気でなくても、とにかく生きていること、生きて家族のそばにいたあげること、
ただ、それだけで尊いことなんだな、と、強く感じた。

自分の置かれている状況、
自分だけであれば好き勝手生きていくこともできるのだろうが、
子供たちのため、妻のため、少しでも長く生きられるよう、
無理せず、養生しながら生きていこうと思った。

この映画を観て、自分はとても、気力がわいてきた。

自分自身のかけがえのなさを改めて意識しようと感じた映画だ。

畝づくり

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さてさて、正確にどれくらいの広さがあるのかは、測ってないのでわかりませんが、
いきなり全面使うのは、難しそうです。

道具も何が必要なのか、必要ないのか、やりながらわかってくると思うので、
とりあえずは、できることをのんびりやって行こうと思います。

近くに住んでいるわけではなく、月に1~2回でなんとか、育てて行くことになるので、
ほったらかし農法になるので、
肥料やったり、虫対策をしたりは無理です。

そこで、とりあえず、
神田ナチュラの岡野さんに紹介いただいた、
臼井健二さんのサイトを参考に畝づくりをしました。

http://www.ultraman.gr.jp/sizennou/jikyuujisoku1.htm

子供たちが自分たちで仲間で収穫することを想定して、
約1メートル四方の畝を目指して、スコップ1本で作業しました。

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地味~に、土をほぐしているところを、娘が私のスマホで写真を撮ってくれました。

娘ふたりは、手伝ってるような、遊んでいるような・・・

ま、どちらにしても、二人とも嬉しそうに遊んでいて、畑遊び(?)を楽しみにしているようなので、ちょっと安心。

とりあえず、1時間くらいの作業で、種まきできそうなところまで、できあがりました。

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この日は、その後で、健康指導師会の仲間であり、
先日、茅野での健康イベントを企画主催した、田中博さんのところへ、
畑について教わりに。

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田中さんは、畑は不耕起でされているそうですが、
色んなやり方、考え方があるようです。

だから、こうやらなければいけない、とか、
そういうのは、あまりない気にしないで、
とりあえず、やってみて、色々試してみればいい、と、アドバイスいただきました。

身近に、気楽に相談できる人がいることはとても有難いことです。

とりあえず、今回は、
ジャガイモの種イモと、大豆と、ズッキーニを植えてみました。

次回は、円形の畝をいくつか作ってみようと思っています。

八ヶ岳に畑を借りました!

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八ヶ岳山麓に畑を借りました!

高田馬場3代目になる、我が家にとって、八ヶ岳は気軽に自然に触れ合えるとても大切な場所です。

祖父母が晩年、夏の3か月を過ごしたこちらで過ごした土地を引き継ぐ形で、
私の両親が家を建て、両親と私たちと妹夫婦の3家族で、楽しく過ごしています。

長年、畑でもやりたいと思い、地元の人に聞いてみると、

「余ってれば、だいたい貸してくれると思うよ」

って、言われたけど(笑)
どこで、どうやって借りられる畑を探したらいいのか、わからずにいました。

こちらに来たときは、のんびりしたり、娘たちと遊びに行ったり、
それなりに忙しくて、アクション起こす暇がなかったというのもありました。

4~5分とはいえ、家から車でわざわざ行くところだったり、微妙だし、
隣が農薬バンバンだったりしても嫌だし・・・

わからないことだらけで、頭でっかちになっていたのですが、
祖父母の代から、親しくさせていただいているOさんが、
家庭菜園をしているのを聞きつけ、どうやって土地を借りているのか尋ねてみたら、
大家さんを紹介してくださり、とんとん拍子に話が進み、
家のななめ裏の使ってない畑を借りられることになりました。

広さとしてどれくらいあるのか、正確な広さはわかりませんが100坪以上はあります。

一部、隣のお宅や木の陰になるところがありますが、結構な広さです。

今年は無理でも、来年あたり、ビジネス論語スクールの人たちに遊びに来てもらって、
自分たちで収穫した野菜でBBQとか、できたらいいよね~

娘たちの友達も喜ぶだろうな~

なんて、妄想が膨らみます。

今のところ、何から始めればいいのか、さっぱりわかりませんが、
習うより慣れろの精神で、色々試していこうと思っています。