カテゴリー別アーカイブ: 健康系

戦友の死

今朝、1時頃、一人の戦友が旅立って行った。

太陽照美さん。
太陽照美さんのFacebook

彼女と初めて会ったのは、今から2年以上前。
駒込の自然食レストラン なーりっしゅだった。

そのときは、彼女が癌であることを、私は知らなかった。
が、なんとなく、そうではないかと感じていた。

Facebookでつながって、彼女が癌であることは数日後に知った。

私は、ゲルソン療法を実践していて、食べられるものが極端に制限されていた。
彼女は、好きなものを、感謝して、満喫して食べて、好きなことを好きなだけする、という生き方を実践していた。

彼女のガンが、どこのガンで、どのような状態だったのかは、よくわからないが、
余命は半年~1年程度と、宣告を受けていたという話は聞いたことがある。

それが正式な(?)余命宣告なのか、雑談レベルでの、
「病院に行かないと、半年で死んじゃうよ!」
みたいな話だったのかは、よくわからない。

だが、余命が半年でも、1年でも、
医者が見込んでいたよりは長く生きられたことに違いはない。

また、治療を受けていたよりも、
愛する人と残りの人生の全ての時間を、楽しく充実した時間にし、
想い出の写真、想い出の場所、想い出の味・・・、多くの想い出を遺すことができたことに、
ちがいはない。

彼女と彼女を支えたご主人の、生き方の選択、生き様の選択、を私は100%承認したい。

彼女の死をもって、やっぱり代替療法、自然療法はダメだ、という主張をする人、
あるいは、そういう疑問を持つ人もでてくるかもしれない。

しかし、代替療法、自然療法に取組む者たちが注目するべきなのは、
余命が伸びたのか、縮んだのかではなく、
彼女が生きた時間が、三大療法を受け入れた場合と比べて、
どれほど充実した「生」を送ることができたのか、
そして、
どれほど穏やかな「死」を迎えることができたかではないだろうか。

彼女は、死を迎える数時間前、緊急入院が決まった写真を自撮りしてFacebookにアップしていた。

彼女は、それから数時間後、
彼女の愛する人に見守られ、手を優しく握られ、もしかしたら腕枕とかされてたかもしれない・・・
そうして最後の瞬間を刻んだのだろう。

思い通りにいかないことのほうが多いのが人生だが、
これ以上ないほど理想的な最期を迎えることができた彼女は、
本当の意味で、ガンに負けなかった勝者なのだと、私は思う。

3年近く彼女を支えたご主人の喪失感は、計り知れないだろう。

ただ、彼女のご冥福をお祈りするばかりである。

お疲れさま。
出会えて、本当によかった。
本当に、ありがとう。

ゆっくり休んでね。

パパが遺した物語

先日、久しぶりに、ひとりで映画を観た。
ラッセル・クロウ主演の「パパが遺した物語」。

小説家の父と娘との物語だ。

あらすじは、ネタバレにならない程度で書くと、
娘がまだ小さいときに、お父さんが起こした事故で、お母さんが事故で亡くなり、
お父さんも後遺症で長期入院を余儀なくされる。

その間、娘は親戚の家で預けられる。

お父さんが退院後、父娘の生活は戻るが、その後も、お父さんは事故の後遺症で悩むことになる。

父娘の貧しいながらも幸せな生活も、お父さんが後遺症が元で風呂場で倒れ亡くなってしまう。

そういうトラウマを持つ娘の20数年後のストーリーと、
父と娘のストーリーいや、娘を想う父のストーリーとが、
オーバーラップしながら展開されていく。

この映画を観て、私自身娘たちに何ができているか、何を遺してやれるのかわからないが、
元気でも、元気でなくても、とにかく生きていること、生きて家族のそばにいたあげること、
ただ、それだけで尊いことなんだな、と、強く感じた。

自分の置かれている状況、
自分だけであれば好き勝手生きていくこともできるのだろうが、
子供たちのため、妻のため、少しでも長く生きられるよう、
無理せず、養生しながら生きていこうと思った。

この映画を観て、自分はとても、気力がわいてきた。

自分自身のかけがえのなさを改めて意識しようと感じた映画だ。

自然療法に取組む人に力になる論語

速やかならんと欲することなかれ、小利を見ることなかれ。(論語 子路)

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この言葉は、様々な病と闘う人、その人を見守るご家族や、医療に従事する人たちに、大きな力を与えてくれる。

特に、食事療法などの自然療法に取り組む人は、毎日毎日かみしめて欲しい言葉であり、倦怠感、徒労感を感じたときに大きな力を与えてくれる。

人は生来、性急な動物なのだろうと思う。

「性」とは、その人が持って生まれた変わることのない心の領域のことを意味している。

人には、生まれながらにして、
「少しでも早く何かを終わらせたい」
「少しでも早く目的地に到達したい」
のような、「少しでも早く」という本能がDNAに刷り込まれているのだろう。

子供が車や電車、飛行機が好きな理由の一つは、スピードがあると思う。

大の大人が、F-1で速さを競ったり、新幹線で世界最高速度を競うのには、
技術を評価し、技術の進歩に貢献するという大義名分はある。

時速300㎞を超えるF-1、
時速250㎞の新幹線の車窓を一瞬で通り過ぎていく風景、
飛行機の離陸時に感じる加速Gなど、
エコロジー、安全という理性的な感覚を除けば、誰もが無条件に興奮するのではないだろうか。

人は生来「性急」な動物であり、少しでも早く成果・結果を欲するものなのだ。
そのお蔭で人間は大きな変化を創ることができるのだろうが、
このことを意識しておかないと、思うような成果を得られないときに、
そのことがストレスになってしまう。

自然療法に取組む人は、特にそうである。

ガンでも、動脈硬化でも、
私たちが対峙している相手は、「生活習慣病」であり、自分自身の生活習慣が20年以上かけて作ってきた成果である。

それは、毎日毎日、何十年にもわたって、健康口座から10円ずつ無意識に引き落としてできた借金のようなもの。

それを一気に減らすことを目指すのが、手術や投薬だとしたら、
自然療法は、毎日毎日、10円引き落とす習慣を止めて、
コツコツ50円ずつ返済していくようなもの。

借金には利息がつくから、完済までには、
5年かかるか、10年かかるか、もしかしたら一生かかってしまうのかもしれない。

そういう気の長いチャレンジなのだ。

癌になった人で、食事療法に取組む人の多くは、
ガンの可能性が高いとわかったところから、
再検査だったり、方針が決まるまであるいは手術までの1~2か月の間に「癌を消す」ことを意図してはじめると思う。

実際、そのような現実を創っている人も少なくないと思うが、
実際にはそのような現実にならない人もいる。

そんな、思うような結果がでなかったときはがっかりしてしまう。

定期的な検査でもそうだ。

こんなに節制しているのに、
「数値がよくない」
「画像を比較すると以前より大きくなっている」

こんな結果が出ると、ガッカリを通り越して、徒労感、絶望感すら覚える。

そんなとき、私は、この言葉を呪文のように唱えている。

「速やかならんと欲することなかれ」
「速やかならんと欲することなかれ」
「速やかならんと欲することなかれ」

そうして、心を持ち直したとしても
そのようなことがあると、
自分がやっている食事療法が意味がないのではないか?
と、疑問・疑念が、心のどこかに生まれたりする。

というか、しばらくは、
食べたいものを我慢する、その生活、その瞬間から逃れる口実を探す自分は消えないだろう。

大好きなラーメンやケーキなどを目の前にして、

「今日くらいは・・・」

という便利な言葉が浮かんでくる。

そんなとき、

「小利をみることなかれ」
「小利をみることなかれ」
「小利をみることなかれ」

心の中で唱えながら、何度その場を立ち去ったことだろう(笑)。

因みに・・・
この言葉の次にはどんなことが書かれているか?

速やかならんと欲すれば則ち「達せず」
小利を見れば則ち「大事成らず」

あなたが「速やか」な結果を求めるなら、あなたの目指す健康は手に入らない。
あなたが「小利」惑わされてやることをやらないなら、あなたが本当に得たい健康は得られない。

私には、この章句が、そう言っているように感じるのだ。

だからこそ、何度も何度も呪文のように繰り返す。

「速やかならんと欲することなかれ」
「小利を見ることなかれ」

体温が上がってます

最近、やっていることがある。

くるぶしから下を温めることだ。

食・安全・未来協会 松本会長から教えていただいた、気功整体の先生から教えてもらったのだが、
身体全体を温めることと、
足浴でふくらはぎまでで温めることと
くるぶしから下を温めることは、
それぞれ異なる効果があるとのこと。

確かにそれはあるかもしれないな~

先生は、洗面器にお湯をはって、足し湯しながら・・・
と、おっしゃっていたが、結構面倒くさそう。

お風呂場でやらなければならないし。

と、思っていたら、我が家にものすごく便利なものがあった。
それは、大きな靴下型湯たんぽ。

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これだと、くるぶしから下だけを、無理なく温めることができる。
しかも、こうしてパソコンやりながらも!!

できる範囲で朝晩、くるぶしから下を温めているが、
今朝の朝の体温が36.4度。

お風呂入ったり、温熱療法やったり、色々やったが、
基礎体温がなかなか36度代にならなかったのだが、
ここ1カ月、基礎体温が、36度半ばに迫っている。

くるぶしから下を温めていることが影響しているのか、
それともガンの活性が止まっているためなのか、
はたまた、その両方なのか、
理由は断言できないが、体温を上げたい人は試してみる価値はあると思う。

それにしても、妻はすごいよな~
必要になりそうなものを、予言者のように買っている。

この湯たんぽも、数年前、私はそんなもの必要ないだろうと、小馬鹿にしていたもの。

改めて、妻の偉大さと、先見の明に、感謝するばかり。
いつもありがとう。

畝づくり

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さてさて、正確にどれくらいの広さがあるのかは、測ってないのでわかりませんが、
いきなり全面使うのは、難しそうです。

道具も何が必要なのか、必要ないのか、やりながらわかってくると思うので、
とりあえずは、できることをのんびりやって行こうと思います。

近くに住んでいるわけではなく、月に1~2回でなんとか、育てて行くことになるので、
ほったらかし農法になるので、
肥料やったり、虫対策をしたりは無理です。

そこで、とりあえず、
神田ナチュラの岡野さんに紹介いただいた、
臼井健二さんのサイトを参考に畝づくりをしました。

http://www.ultraman.gr.jp/sizennou/jikyuujisoku1.htm

子供たちが自分たちで仲間で収穫することを想定して、
約1メートル四方の畝を目指して、スコップ1本で作業しました。

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地味~に、土をほぐしているところを、娘が私のスマホで写真を撮ってくれました。

娘ふたりは、手伝ってるような、遊んでいるような・・・

ま、どちらにしても、二人とも嬉しそうに遊んでいて、畑遊び(?)を楽しみにしているようなので、ちょっと安心。

とりあえず、1時間くらいの作業で、種まきできそうなところまで、できあがりました。

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この日は、その後で、健康指導師会の仲間であり、
先日、茅野での健康イベントを企画主催した、田中博さんのところへ、
畑について教わりに。

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田中さんは、畑は不耕起でされているそうですが、
色んなやり方、考え方があるようです。

だから、こうやらなければいけない、とか、
そういうのは、あまりない気にしないで、
とりあえず、やってみて、色々試してみればいい、と、アドバイスいただきました。

身近に、気楽に相談できる人がいることはとても有難いことです。

とりあえず、今回は、
ジャガイモの種イモと、大豆と、ズッキーニを植えてみました。

次回は、円形の畝をいくつか作ってみようと思っています。

八ヶ岳に畑を借りました!

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八ヶ岳山麓に畑を借りました!

高田馬場3代目になる、我が家にとって、八ヶ岳は気軽に自然に触れ合えるとても大切な場所です。

祖父母が晩年、夏の3か月を過ごしたこちらで過ごした土地を引き継ぐ形で、
私の両親が家を建て、両親と私たちと妹夫婦の3家族で、楽しく過ごしています。

長年、畑でもやりたいと思い、地元の人に聞いてみると、

「余ってれば、だいたい貸してくれると思うよ」

って、言われたけど(笑)
どこで、どうやって借りられる畑を探したらいいのか、わからずにいました。

こちらに来たときは、のんびりしたり、娘たちと遊びに行ったり、
それなりに忙しくて、アクション起こす暇がなかったというのもありました。

4~5分とはいえ、家から車でわざわざ行くところだったり、微妙だし、
隣が農薬バンバンだったりしても嫌だし・・・

わからないことだらけで、頭でっかちになっていたのですが、
祖父母の代から、親しくさせていただいているOさんが、
家庭菜園をしているのを聞きつけ、どうやって土地を借りているのか尋ねてみたら、
大家さんを紹介してくださり、とんとん拍子に話が進み、
家のななめ裏の使ってない畑を借りられることになりました。

広さとしてどれくらいあるのか、正確な広さはわかりませんが100坪以上はあります。

一部、隣のお宅や木の陰になるところがありますが、結構な広さです。

今年は無理でも、来年あたり、ビジネス論語スクールの人たちに遊びに来てもらって、
自分たちで収穫した野菜でBBQとか、できたらいいよね~

娘たちの友達も喜ぶだろうな~

なんて、妄想が膨らみます。

今のところ、何から始めればいいのか、さっぱりわかりませんが、
習うより慣れろの精神で、色々試していこうと思っています。

オキシトシン

昨日、
「元気な120才を創る会」
の会合に出席してきました。

会合の中で、代表理事の服部幸應先生が、「食育」というテーマでお話をされました。

その中で、「オキシトシン」という、とても興味深いホルモンの話がありした。

「オキシトシン」とは、
赤ちゃんがお母さんの母乳を吸うと、お母さんの脳に出るホルモンで、
このホルモンには、相手への好意・愛情を抱かせる作用があるそうです。

お母さんは、あんなに苦しい思いをして生んで、最初は真っ赤な赤ちゃんを見て、

「お猿さんみたい」

と、自分とは無関係な何か、という感じを抱いても、
母乳をあげる、だんだんと赤ちゃんが愛おしく、可愛く見えてくるのは、
オキシトシンが関係しているわけです。

また、赤ちゃんのほうはというと、
オキシトシンは、お母さんの母乳を通して、
赤ちゃんの体内に入り、それによって、お母さんに対して、安心感と愛情を抱きます。

もちろん、オキシトシンというホルモンだけの問題ではないでしょうが、
一つの要因ではありそうです。

そして、幼児虐待をする親たちは、
実際に母乳で育てていない人たちが、統計的に多いらしく、
オキシトシンと虐待との間に、何らかの因果関係がある可能性はあるのかもしれません。

もしかしたら、虐待している親自身も、
赤ん坊の頃、母乳で育てられていいない、
それによって、オキシトシンの分泌が少ないということもあるのかもしれません。

この辺のことは、まだまだ研究中で、解明されていないことが多いようですが・・・

さらに、最近の研究では、母乳を通して以外にも、オキシトシンは分泌することがわかってきたようです。

たとえば、
猫をなでると、猫にも人にもオキシトシンが分泌されるそうです。
犬と目を合わすと、犬にも人にもオキシトシンが分泌されるそうです。

人間同士も、母乳だけでなく、
スキンシップであったり、目を見てコミュニケーションをしたり、
そうすることで、親子間、夫婦間、他人同士でも、
オキシトシンが分泌されるということです。

逆に言えば、そのようなコミュニケーションを避け続ければ、
お互いにオキシトシンは分泌されず、
生物学的に「好意」をいだくことは、大きく制限されるということです。

よく、嫌いな人に対して、

「生理的に受容れられない」

という表現を使う人がいますが、

「生理的に受容れられない」

は、かなり、自分自身の言動によって作れるということです。

オキシトシンが沢山分泌している家族は、幸せですね。
幸せだから、オキシトシンが出るわけではなく・・・

オキシトシンが出てないから、
コミュニケーションが不足するのではなく、
コミュニケーションが不足するから、
オキシトシンが出ない・・・

我が家のオキシトシンは、どうだろう?
あなたのご家庭のオキシトシンは、いかがですか?